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【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう

「青胴車」が引退することに

「青胴車」が引退することに 「青胴車」が引退することに

神戸在住、レトロ好きのチアフルライターやまさんです。

「青胴車」、別称「ジェットカー」として1977(昭和52)年から運用されてきた普通用車両5001形が、引退を前に急激に運行本数を減らしています。2020年6月30日に急行用車両として長きに亘り親しまれてきた「赤胴車」はコロナ禍の中、ひっそりと引退しました。(赤胴車引退についての記事はこちら)青胴車も気づいたらいなくなっているかもしれません。今のうちにしっかり青胴車を見ておこうと神戸三宮駅へと向かいました。が、この日ホームに青胴車の姿はありません。先日阪神電車を利用した時も全く青胴車を見かけませんでした。今年の6月の初めに稼働している青胴車が残り4編成にまで減ったらしい、と聞いていたやまさんは内心「もう運行終了してしまったのでは」と不安に。取りあえず各停車が必ず急行列車の待ち合わせをしている御影駅へ行ってみようと、オレンジの特急列車に乗り込みました。

 

2020年6月に阪神電鉄により発表された「移動等円滑化取組計画書」によると、「本線普通車両の一部(32両)は、新造竣工後40年を経過しており、移動等円滑化が十分になされていないことから、今後数年かけて全車両を新型車両に置き換える計画」だとのこと。この32両の車両は青胴車と呼ばれている5001形車輌を指します。5001形32両は2020年までは全車両が運用されていたようです。普通車両は基本的に4車両1編成で運行されていますから、巷の噂によれば、今までの間に既に16両が本線から引退してしまったことになります。

「阪神電鉄カーブ式会社」の面影を残す御影駅

「阪神電鉄カーブ式会社」の面影を残す御影駅 「阪神電鉄カーブ式会社」の面影を残す御影駅

写真:御影駅の歴史遺産、貨物専用ホーム

 

御影駅に到着。御影駅は1905(明治38)年、阪神電鉄の開業と同時に生まれた駅です。開業当時、住宅街を縫うように走っていた阪神電鉄は「阪神電鉄カーブ式会社」と冗談を言われるほど急カーブの多い路線でした。当時の面影を最もよく残しているのが御影駅で、ホーム自体の形が急カーブを描いています。御影駅は1929(昭和4)年というかなり早い時期に高架化工事が行われました。この駅にはもう一つ歴史遺産があります。それが上の写真の貨物専用ホーム。1914(大正3)年から1931(昭和6)年まで阪神電鉄は貨物の輸送を行なっていました。

青胴車発見!

青胴車発見! 青胴車発見!

特急列車が御影駅に着くと、なんと隣のホームに青胴車が停まっているではありませんか。大喜びで青胴車へ移動し、車内を見て回りながら梅田へと移動しました。

 

【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう 【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう

写真:丸いパネルの針が梅田を指していました。

 

やまさんが御影駅に行けば必ず普通車両に乗れると思った理由、それは阪神電車のダイヤと駅の仕組みにあります。阪神電鉄では、特急や急行などの優等列車をスムーズに走らせるようにダイヤを組んでいます。普通などたくさんの駅で停車する列車は途中駅で停まり、優等列車を先に行かせます。このため普通車両は優等列車の邪魔をしないようになるべく素早く待避駅に着く必要があるのです。普通車両が走っている阪神本線には梅田―高速神戸駅間に野田、千船、尼崎、尼崎センタープール前、甲子園、西宮、青木、御影、大石の9ヶ所に待避駅があり、その中でも必ず特急の待ち合わせをする御影、西宮、甲子園、尼崎駅まで行けば必ず普通車両が停まっているはずと踏んだからです。この阪神独自のダイヤは、1919(大正8)年に採用された「千鳥式運転」にまで遡ります。本線を4区間に分け、列車によってある区間だけ各駅に停まり、他の区間は通過し、運転間隔を縮めるのです。この考え方が現在のダイヤ作成にも生かされているというわけです。

 

また、このダイヤ方式により、優先車両が滞りなく走れるよう、普通車両は素早く待避駅に移動する必要がありました。これが高い加速・減速能力を持つ特別な車両「青胴車」、別名「ジェットカー」が誕生した理由です。

 

【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう 【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう

今ではすっかりレトロ感のある運転席。

 

【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう 【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう

緑を基調としたシンプルながら落ち着いた車内。このタイプの二段式窓ももう見かけなくなりました。

 

【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう 【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう

車両の連結部。渋いです。

 

【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう 【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう この車両は昭和54年に西宮の武庫川車両で製作されたようです。

社運を賭けた初代ジェットカー「アマガエル」

社運を賭けた初代ジェットカー「アマガエル」 社運を賭けた初代ジェットカー「アマガエル」

写真:阪神本線を走る「アマガエル」 阪神電鉄所蔵

 

青胴車の運用に先駆け、「アマガエル」と呼ばれた2両の車両が試作車として1958(昭和33)年に登場、青胴車の運用が始まる1977(昭和52)年まで運行されていました。

 

省線(旧国鉄・現JR西日本)に続き1905年に私鉄としては初めて大阪ー三宮を走るインターアーバンとして開業した阪神電鉄は当初より駅数の多さ(省線神戸線11駅に対し阪神本線32駅)、「待たずに乗れる阪神電車」のキャッチフレーズが示すように、12分間隔という高頻度運行が強みでした。ですが、1920(大正9)年に阪急神戸線が開通、さらに1934(昭和9)年にそれまで蒸気機関車のみだった省線の吹田駅ー須磨駅間に電車が走るようになったことにより競争が激化、他社に比べて走行距離が長く曲線の多い線形が運行速度向上のネックとなることに。そこで阪神電鉄では高速性能を重視した急行形車両と、経済性を重視した普通形車両の2本立てによってこの弱点を補う運行形態が取られるようになりました。

 

戦後の1954(昭和29)年から始まった急行車両の大型化・高性能化に伴い、それまで古い木造車からの機器流用車が多く使用されていた普通車両においても、急行車両の運行に合わせて駅間が短く高頻度運行を滞りなく実施するため、高加減速性能と一定の高速走行性能を併せ持つ新型車両を開発する必要に迫られました。このような経緯で誕生したのが初代阪神5001形電車です。アメリカのシカゴを走る地下鉄シカゴ・Lの最新鋭車5000・6000系をモデルとして1年間に亘る長期実用試験を繰り返し、5001が日本車両製造、5002が川崎車輛で誕生しました。起動加速度は1秒あたり時速4.5km、常用減速度は同じく時速5.0km、今日の鉄道でもトップクラスの性能を誇りました。(阪神急行形車両9000系の起動加速度が3.0km/h/s。5001形は高出力モーターによる全軸駆動、小歯車から大歯車への動力伝達、軽量対応の小径車輪を採用し、起動時から大きな牽引力を引き出す様々な工夫が施されています。この高加減速性能により、5001形は急行車両の運行を邪魔することなく、待避線のある駅まで素早く移動し、後続の特急や急行に進路を譲ることが可能になりました。初代5001形はメインカラーが緑、サブカラーがクリーム色だったため通称「アマガエル」と呼ばれました。

 

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写真:1905年の日本海海戦でZ旗を掲げる連合艦隊旗艦三笠
パブリック・ドメイン Wikipediaより

 

このタイプの車両が「ジェットカー」と呼ばれるようになったのは、従来の普通車両の性能をプロペラ機に例えるなら、この普通用高加減速車はジェット機に相当すると言われたことによるものです。5001形の就役に際し、当時の阪神電鉄社長は『「ジェットカー」の名称は工学的な性能から与えられたペットネームでありますが、弊社としては「ジェット」の音は正しく日本海海戦の「ゼット」旗と同じ響を持っているものと考えており、電気鉄道事業界に山積する困難をこの「ジェット・カー」により見事克服することを私は心から期待しておる次第であります。』と述べたそうです。日露戦争における日本海海戦で掲げられた国際信号旗、Z旗は「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」という意味で使用されたことで有名です。ジェットカーをZ旗になぞらえたこの言葉から、初代5001形開発を阪神の社運を左右する要として捉えていたことがわかります。

 

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spaceaero2, CC BY 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由

写真:高松琴平電鉄の1050形へと改造された高松築港付近を走る初代5001形「アマガエル」

 

この初代5001形「アマガエル」は1977(昭和52)年の引退後、高松琴平電鉄に譲渡され、1050形と名を改めます。同車輌は改造を繰り返しながら26年もの長い間琴平線の主力車として運用され、2003(平成15)年にその役目を終えました。

量産型ジェットカー5101形・5201形の誕生と後続形式車両

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Rsa, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由

写真:えちぜん鉄道へ譲渡されMC1101へと改造された5101形車両

 

【5101形・5201形】1959(昭和34)年から1960(昭和35)年に製造された5101形・5201形30両が量産ジェットカーの第1号です。5201形の最初の2両にはステンレスが採用され、ジェット・シルバーと呼ばれました。これ以後の車体は赤胴車の塗装デザインに合わせて上部がクリーム色、下部がマリンブルーのツートンカラーとなり、赤胴車に対して「青胴車」と呼ばれるようになりました。5101形・5201形は1977(昭和52)年から1981(昭和56)年に引退、5101形のうち5107・5110の車体が高松琴平電気鉄道へ移譲され同社1060形として2006年まで使用されました。また、5108・5109の車体が京福電気鉄道福井支社(現・えちぜん鉄道)へ譲渡され同社モハ1101形として就役し、えちぜん鉄道へ引き継がれた後MC1101形と改称、2014年まで活躍しました。

 

【5231形】1961(昭和36)年から1963(昭和38)年にかけて5231形24両が製作されました。同車は阪神最後の非冷房車として運用された後、1981(昭和56)年から1983(昭和58)年にかけて順次廃車となり、その後5231-5240と5249-5254が京福電気鉄道福井支社(現・えちぜん鉄道)へと譲渡され、同社のモハ2101形となりました。また、5243、5244が高松琴平電気鉄道へと譲渡され、同社の1053形となりましたが、2005(平成17)年に廃車されました。

 

【5151形】神戸高速鉄道の開通と阪神電車の直通運転開始を控え、1967(昭和42)年に阪神各線の架線電圧が600Vから1,500Vへ昇圧されることになり、それをきっかけとして、1964年に5151形2両が新たに製造されました。5151形は1995(平成7)年の阪神淡路大震災により被災、損傷が激しかったため同年に廃車となりました。

 

【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう 【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう

写真:西灘駅に停車中の5261形
パブリック・ドメイン Wikipediaより

 

【5261形】1967(昭和42)年から1968(昭和43)年にかけて製造された10両と1970(昭和45)年に普通系車両初の冷房車として製造された4両の合計14両により構成される形式が5261形です。5151形と同じく昇圧後の車両不足を補うために製造されました。1977年には同型の初期車10両にも冷房改造が実施されました。5261形は1999(平成11)年と2000(平成12)年にさよなら運転が行われ、全て廃車となりました。

 

阪神5311形

作者のページを見る, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由

写真:大物駅付近を走る5311形

 

【5311形】1968(昭和43)年から1969(昭和44)年にかけて、1両走行が可能な増結用車両の増強のため、5311形4両が製造されました。1991年に5311-5312が廃車となり、残りの5313-5314が1999(平成11)年の4月に運用復帰しましたが、5550系の導入により2010(平成22)年に廃車となりました。

 

【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう 【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう

写真:尼崎駅に停車中の二代目5001形

 

【二代目5001形】1977年に登場した二代目5001形32両は、1970年代に入り冷房車の需要が高まったことにより生まれた量産型冷房車です。20年前のジェットカーとほぼ同じデザインの同車両の登場により、初代5001形、5201形、5101形は引退、この新5001形がジェットカーの最終的な標準車として以降の阪神電車を牽引することになりました。2020(令和2)年まで走っていた32両の青胴車は全てこの二代目5001形になります。

 

【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう 【前編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう

写真:初の電機子チョッパ制御車5331形
パブリック・ドメイン Wikipediaより

 

【5131形・5331形】1981年から1983(昭和58)年に製造された5131形・5331形は、阪神電車では初の電機子チョッパ制御車両です。電機子チョッパ制御とは、一般的な電車の主回路にある抵抗器を半導体の装置に置き換えたシステム。抵抗器は電気の流れを熱変換で加減するのに対し、半導体は必要な量だけを流すことができ、電気を浪費しません。そのため、1970年代には様々な電機子チョッパ車が登場しました。同形式は1995(平成7)年の震災で被災し2両が廃車となり、その後5331形は2017(平成29)年に、5131形は2019(令和1)年に引退しました。

 

後編へ続く

 【後編】阪神電鉄最後のレトロ車両、青胴車で行こう

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